日曜日, 7月 11

ドルアーガの塔 FLOOR.8

【FLOOR.8】
モンスターゴースト2匹(技量ポイント:10、体力ポイント:2)
トラップ暗黒通路(照明なしで北に進むと、大岩に潰されて即死)
宝物壁抜けパウダー6袋(レンガの壁を通り抜けることができる)
出現方法ゴースト2匹を倒す

原作より1フロア早くゴーストが登場。ゴーストの姿を見るためにローソクが必要という点は原作同様なのだが、さらにプラスして、暗黒通路を照らす役割も与えられている。
原作において照明の効果を有していたブック系は、本作では見た目通りの書物(魔術書)でしかないので、代わりの照明役となるアイテムとして、やはり見た目準拠でローソクがチョイスされたのだろうか?
ローソクと言えば「ソーサリー」を思い出すけど、あっちもローソクは2種類あって、普通の(白い)ローソクを選ばないとエラい目に遭うんだっけ。

迷路のデザインは、マッピング無しでも迷わない程度の簡単なもの。
作者は「パンタクル」のあとがきで「単なる通路や分岐だけのパラグラフは、なるべく作らないことを目指した」と述べていたが、さすがに本作ではそこまで徹底し切れていない。まぁ「ドルアーガ」というタイトルを考えれば、“普通の迷路”のウェートが大きくなるのは当然だし、逆に迷路以外のイベントが増えた第2巻は、(面白さの評価は別として)「“ドルアーガ”らしいか?」と問われると難しいものがあるわけで…(←このあたりのアンビバレンツに悩む様子は、第3巻のあとがきや、第2巻の古川あとがきで取り上げられたプレイヤーの感想からも読み取れる)。
解決策のひとつとして行なわれたと思われるのが、記述の工夫。音や匂いなどの情報、窓から覗く塔外の天候や風景の描写などを多く盛り込むことで、読者を飽きさせないよう努めるわけね。とくに第1巻で多く見られる手法であり、ゲームブックの“ブック”の部分で、この巻を特に評価する所以である。

一方、“ゲーム”の部分における工夫として考えられるのが、食事スポットの設置。
食事ルールそのものは他作品の受け売りだろうけど、特徴のない分岐路や小部屋のうち1ヶ所に設置することで、単調なマップにアクセントが発生するとともに、(体力がヤバい時などには)そういう回復ポイントを探すという小目標を与える効果もあるわけだ。
ただしこの階は例外で、ルートの集約するフロア中心点(=必ず通らなければならない場所)に食事スポットが設定されており、ポーションの使用も許可されている。これは恐らく、10階以降でポーションの使用を解禁するための下準備として、効果を明かしているのだろう。
ポーションの効果を秘匿せず、好きなタイミングで使用できるよう設定したほうが、間違いなく作者もプレイヤーも負担が少ないはずなのだが、敢えて楽な方法を採用しなかったのは、“ゲーム”よりも“ブック”を重視する姿勢…すなわちシステム的なことより雰囲気(←未知の薬が効果不明だというのは、リアリティを考えれば当然だし、それゆえに不安感が生まれる)を優先したからだと思われる。
とは言うものの、冒険が進んでダメージが深刻になってくれば、ポーションの世話になる場面が増えるのは当然だし、そのたびにポーション使用の許可やら効果についての記述を繰り返すのは、あまりにも億劫である…だから次第に情報を開示していって「ここから先は自由に使ってくれていいよ」というのが、作者の意図ではないだろうか。

次にゴースト戦について。原作では魔術師3種類それぞれに対応したサブタイプが存在するのに対し、本作では1種類のみ…これはボードゲーム版に準拠していて、あっちではマジシャン族の一員という分類なんだよね(←ちなみに出現するのは3階で、ソーサラードルイドの中間という位置づけ)。まぁそんなこと言っておいて、第3巻ではウィザードゴーストが登場するんだけどさ(笑)。
ここからは難易度が1ランク上昇し、複数の敵を同時に相手する戦闘が頻発するようになる。今回のゴースト戦はその手始めであり、ゆえに体力ポイントが低く設定されているのだが、これは原作におけるゴーストの耐久力の高さ(ホワイトソード以下の武器では、2回切らないと倒せない)からすると、違和感があるかも知れないな。
つまるところ「ゴースト=おぼろげな存在」という概念はどちらにも共通しているものの、それを「弱々しい」と解釈したのが本作、逆に「攻撃が当たりにくい=しぶとい」と解釈したのが原作(あるいはD&Dブラックオニキスなど)なのだろう。

「最良の選択に基づいてプレイする」という前提なら、ここではマジックバリヤーの呪文MUARUを唱えることによって、ゴーストの技量ポイントを2下げることができる。
これにより戦力差は-2となるので、ミラーナイト相手よりも明らかに有利に戦えるのだ。そしてゴーストが出現する条件は「経験値が9以下」であることから、現時点で経験値が7ポイント(=4階で上限まで稼ぎ、ミラーナイトとの交戦を避けた状態)であれば、2回連続での戦闘が可能(もちろん、白いローソクを所有していることが条件)で、ここで経験値を11まで上昇させることができる。
まぁ最終的には13階で上限を抑えられるから、この時点での1ポイントにさほど大した意味はないのだが、楽な相手から可能なかぎり稼ぐに越したことはない。

それにしても、結局MUALUの呪文とは何だったのだろう? 作中では明言されなかったし、実際に唱えたときの状況から推測しようにも、サンプルが少なすぎて(←何らかの効果を発揮したのはゴースト戦のみ)、根拠の乏しい憶測しか浮かばない。
可能性のひとつは、5階の嘘つき老人が教えた呪文であることから、じつは使い手に直接メリットのある効果は何も発生しない…というもの。しかし呪文によって巻き起こった魔術的な揺らぎが、たまたまゴーストの技量ポイントを低下させたという解釈ね。
だが以前に述べたように、嘘つき老人が、まずは信用を得ようとして、最初のひとつだけは本当の情報を混ぜた──「真実の中に嘘を混ぜるのが、上手に嘘をつくコツ」って言うし──のだとしたら、やはりMUALUには、何らかの効果があると考えるべきかも。
9階のスケルトンの部屋についても知っている嘘つき老人が、この部屋にゴーストがいることを知らなかったとは思えない。ならば意図的に「ゴーストには有効だが、それ以外は全く役に立たない呪文」(ウィザードリィZILWANのような)を教えた可能性もあり得るわけだ。

もうひとつ疑問なのが、魔術師の攻撃手段としての呪文。メイジとの戦闘突入時には「呪文の一撃を浴びせてきた」と記述されているし、ゴーストも「呪いの言葉を吐きながら」「魔力による攻撃」という記述からして、呪文による攻撃を行なっていると考えていいだろう。
ここで注意すべきなのは、この“呪文による攻撃”が、通常の戦闘ルールを適用される点において、武器や生身による攻撃と変わらないこと…つまりここでいう“呪文”と、戦闘の始まる前に使用される呪文(MIRRANARRO)とは、どうやら別物らしい。
おそらく第2巻を境にして、“呪文”の概念やルールが切り替わったのだと思われる。原作由来の魔術師たちにしても、たとえばソーサラーの炎の呪文は通常戦闘ルールで処理されるのに対し、ウィザードが唱えるNARROの呪文は、呪文独自のルール(=1d6の1~3で回避。命中時のダメージは4ポイント)に基づいて判定が行なわれるし。
そんなわけなので、切り替わる前後のルールを混同して考えるのは無意味だと承知しつつも、「MUARUで敵の呪文を防ぎたい」と思ってしまうのが人情というもの。 なにしろMUARUは消費する体力も少なく(0~1ポイント)確実に成功するのに対し、MAGNOは体力を6ポイントも消費するくせに成功率にムラがあり、どう見てもMUARUのほうが利便性が高いわけで…。実際、MUARUは強力すぎたからこそ、第2巻以降はフェードアウトしてしまったのだろうなぁ。

さてゴーストを倒すと、壁抜けパウダーが手に入る。ところで、なぜ原作のようにマトックを用いて壁を壊すのではなく、“壁抜け”パウダーなのか?
それは以前にも述べたような、双方向移動タイプのゲームブックが抱える宿命的問題…すなわち、フラグチェックの面倒さが原因だと思われる。敵の生死ぐらいなら、(「魔界の滅亡」で行なったように)アイテムの有無などを駆使して何とか判別できるものの、マップ上の無数の地点の状態をすべて管理しようとすると、膨大な手続きが必要になってしまうからだ。
(もうひとつのゲームブック「ドルアーガの塔外伝」は、原作に対するリスペクトの欠如した紛れもない駄作ではあるが、この点にかぎっては原作再現度の高さを認めざるを得ない…「マトックを使うことで壁を破壊し、先に進める」という構造は、同じ場所に二度と戻って来られない、一方向型の進行スタイルだからこそ可能な処理と言える)
つまり双方向型で、なるべくシンプルでありながら原作に近いシステムを実現するための妥協案が“壁抜け”なのだな。壁を壊さず通り抜けるだけなら、その壁の状態をいちいちチェックするは必要ないし、ひと袋ずつの単位で消費できるパウダーにしたことで、(マトックよりも)“使用回数に制限がある”というルールに説得力が増す利点もある。
ぜいたくを言うなら、もう少し使用回数に余裕を持たせて、長距離や複雑な迷路をショートカットしたり(←有効に使えるのは11階ぐらいか?)、強敵を避けて進む(←この例としては44階があるものの、あまり意味がない)などの使い方を楽しませて欲しかった。
蛇足だが、同じゲームブックの「ワルキューレの冒険 ピラミッドの謎」では、ピラミッドに魔法が施されており、爆弾で壁を破壊しても、そこから移動すると直ちに修復してしまう…という設定になっている。アイテムではなく、ダンジョン側に特性を与えようという発想だな。

ゲーム的な観点からすると、「カギを拾ってドアを開ける」という基本ルールが、この階では「壁抜けパウダーを手に入れ、壁を通り抜けて進む」にアレンジされていることが分かる。つまりこの階は、パウダーの使い方についてのチュートリアルを目的としてデザインされたのだろう。
ここで問題なのは、カギは(一種の試練として)敵側の思惑によって配置されているのに対し、壁抜けパウダーはメスロンが用意したという設定にしてしまったこと。これはメスロンに関する伏線(記述)を増やせるとか、パウダーの説明を手早く済ませられるメリットがある反面、「連行中であるはずのメスロンが(金の魔術書メタセコイアの葉でさえ、6階に置いてきたぐらいなのに)どうやってパウダーを用意できたのか?」とか「メスロンが来る前は、どうやって侵入者たちは壁を抜けていたんだ?」というツッコミどころも生じてしまった。
まぁ体当たりで19階のドアをブチ破ったクルスなら、ドアどころか壁まで破壊して突き進んでいった可能性も否定できないものの、あんなのは例外中の例外だろう(←「ナイトメア」のギルなら、あるいは…)。その他の──たとえば10階の老騎士のような──侵入者たちは、パウダーを持参してきた用意周到な者を除いて、ここで立ち往生させられたのか?
だが(12階での選択ミスに対するペナルティとして、手詰まり状況に追い込まれる)13階とは異なり、唯一の正規ルートを進んだ結果として手詰まりというのでは、さすがにフェアではないだろう…それを認めれば「そもそも上に行ける階段を作らなければいい」という極論に行き着いてしまう。

ここで少し視点を変えてみよう。作者はゴーストの壁抜けから連想して、壁抜けパウダーのアイデアを思いついたのか、あるいはその逆か…いずれにせよ、9階で「(壁抜けパウダーを使えば)ゴーストのように壁を抜けることができる」と記述されている以上、両者の関連性について疑う余地はあるまい。
だからこそ、この階にワンセットで配置された(←そういえばウィザードゴーストが登場する44階でも、思い出したようにパウダーの使用がほのめかされるな)のだろうが、ならば更に発想を飛躍させて、“ゴースト自身が壁抜けパウダーを精製している”という解釈はどうだろうか?
ゴーストは生前、魔術師だったわけだし、マジックアイテムの精製には通じているはず。しかも壁抜け能力を持つゴーストの肉体(霊体?)は、壁抜けパウダーの原材料として有用と思われる。
またメスロンを連行したり、9階で降伏したギルを5階まで運んだり、同じく9階で飲んだくれていたゴブリンを5階に…など、ここを通り抜ける者がいるからには、壁抜けパウダーに一定の需要があるはずであり、それをまかなうシステムが存在していてもおかしくはない。
つまり侵入者が来ない時のゴーストたちは、(文字通り)身を削りながら、壁抜けパウダーの精製という内職に励んでいるわけだ。そう考えてみると、塔内でパウダーが手に入る場所はココだけ(←トウトアモンの店などでも売っていない)というのも納得が行く。
それでは話をまとめてみよう…「メスロンを連行中のモンスターが、壁抜けパウダーを求めてゴーストの部屋を訪れた。先に進むためにパウダーが必要だと知ったメスロンは、何らかの手段(幻術?)を用いて、ゴーストが貯蔵していた予備のパウダー6袋をモンスターたちに見つからないよう隠し、メモを添えた」というのが真相だったんだよ!

壁を抜けた先に待ち受けるのは、即死トラップのある暗黒通路。白いローソクを所持しているか、フュリーの忠告に従えば無事に抜けられるとはいえ、問答無用でサドンデスの危険がある数少ない場所である(←第1巻では銀鎖のカギミツユビオニトカゲの準備さえ忘れなければ、ほとんどの危機的状況から復活が可能なんだよね。例外はゲロトラックスドルアーガのみ)。

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