水曜日, 9月 12

屍者の帝国

ニュータイプアニメディア立ち読みの代償として、O書店にて購入。
SFマガジンを1ヶ月遅れで図書館から借りて読んでいる身としては、どうしても情報の入手にラグが生じるわけで、たまたま新聞の書評欄でベストセラーランキング入りしているのを見て、ようやく発売済みなのを知ったという…(←当然、初版なんて望むべくも無いわけで…それにしても、すでに第7刷とはビックリだわ)。

事前に読んだAmazonの書評で述べられていた通り、最大の懸念であった“円城塔の作品になっていないか?”という点については全くの杞憂で、伊藤計劃の遺筆であるプロローグから円城の手による本編へのシフトは、ほとんど違和感なくシームレスに行なわれた。
現代社会のパロディとしてのガジェットが溢れかえるヴィクトリア時代の描写は、どちらかと言うと高野史緒作品に近い印象だったものの、アフガニスタンを放浪する過程で次第に現実感覚が喪失していく辺りの記述は、かなり伊藤計劃のテイストに近いものがあるし。
つーか、主人公たちがアフガン奥地の秘境にカラマーゾフを追い求めるという展開は、まんま虐殺器官あるいはハーモニーのリフレインであって、普通に考えれば伊藤計劃に対するリスペクトという事なんだろうけど、さらに飛躍するなら“伊藤計劃として”作品を書くための習作、もしくは“伊藤計劃になる”ための儀式でもあったんじゃないか…などと妄想を逞しくしてしまう。

検索しても、作中の時代には該当するような人物が(実在、フィクションを問わず)見当たらなかった事からすると、やはりバーナビーとは“あの”バーナビーが元ネタなんだろうか…確かに主人公の相棒(バディ)という役回りでは共通しているかも知れないけど、それを言い出したら“ワトソン”や“フライディ”も同じなワケで、何らかの意図があるのかと訝しんでしまうな。
しかし、よりによってこの名前を、元ネタとは真逆の脳みそ筋肉男(←イギリス人というより、ネイとかダルタニャンみたいなガスコン人のほうが、よっぽど近いと思える…笑)に充てがうあたり、タイバニ腐女子に対する嫌がらせなのは明らかと思える。しかも返す刀で「下着ではないから恥ずかしくない」などとストパンをパロったセリフを吐かせて、萌えオタまで道連れにしてるし(笑)。

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